Day7 ネブラスカ州ーワイオミング州
本日は1000km超える予定の移動日なのでできる限り朝早く起床。7時過ぎには朝ごはんに向かいます。
しかし!ここでもワッフル生地の機械が壊れており使えない状態になってました。
ワッフル食べられると喜んでいた子供ががっかりしています。
ほぼ唯一の楽しみを奪うわけにいかないので従業員さんと交渉。
明らかに意気消沈している子供を見て色々何とかしてくれてワッフルが食べられるようになりました。
優しい人多いです。
旅行も半分過ぎたと考えるとなんだか寂しい気持ちになります。
家族と24時間ず~~~っと一緒にいることなんでもう二度とないでしょう。
「もっと旅を続けたい」そんな気持ちになっていました。
ただトウモロコシ畑は続きます。
しかし、ワイオミング州にきたあたりから風景が茶色になってきてトウモロコシが見えなくなってきました。
見えなくなるとなんだか喪失感に襲われます。
「あんなに見飽きていたトウモロコシが今では懐かしい。」
奇妙な一体感が失われた気がします。ストックホルム症候群でしょうか。いや、違うか。疲れのためなのか感傷的になります。
昼前には本日最初の目的地、チムニーロック近くで写真をパチリ
開拓者達にとってはウィンタークオーターズとソルトレークの中間に位置することから目印にも使われていたそうです。
そのまま高速を直進し、途中の大きな街スコットブラフで休憩兼ねてターゲットでショッピング。
ショッピングが終わってもまだ予定時間より30分余裕があります。
時間に余裕があると心も豊かになりますよね。
合計30分ほどで移動開始。次の目的地はカスパーです。
昼過ぎにカスパーに到着。
ずっと田舎を走行していると、こういう街でも大きく感じます。
昼ごはん食べたいのに店が見つからないため、アルバートソンズというスーパーでお買い物。
ここが掘り出し物でした。
今まで見たこともないような数のルートビアが並んでます。
単品で買えるものを中心に十本ほど購入。
他にも最近アメリカでも認知されてきているらしいマキ●ソのカップケーキを発見
あちらでは巻くという発想がないので食べ物でも結構茶色い巻いた絵柄が多いのです。例えば
これなんかそれっぽいけど、それじゃないんです。
一方、マキ●ソカップケーキはそのものズバリです。
まあ、アレな話は置いといて、と
このスーパーでフライドチキンを購入し車で食べながら移動。
結局このチキンがもたれてほぼ全員体調崩しました。😢
次の目的地はインディペンデントロック。
岩肌に開拓者の落書きが残ってるというところです。
でもぼーっとしてて通過。
疲れって怖いですね。
この頃のなると朝のもっと続いて欲しいなんて思いは吹っ飛んでただただ疲れてるだけです。
そんなこんなでさらに次の目的地
マーティンの崖に着きます。
ここは手車隊の一つが早めにきた冬将軍のせいで多くの犠牲者を出したところです。
ここにもビジターセンターがあり、おじいちゃん宣教師からお話を聞きます。
当時牛と幌車の費用と比べて手車は10%程度で済んだため、裕福ではない人々が手車を使っていたという話でした。
また、遭難した年は10月に吹雪になり犠牲者が出たとのことです。
そんな悲劇の場所も今では観光地&キャンプ地になっています。
次はウィリー隊が遭難した場所に向かいます。
当時手車隊はそれなりの数が出ていましたが、このような事件にあったのはマーティン隊とウィリー隊だけです。
車で20分ほど走り、ウィリー隊の避難地に向かいます。現在はキャンプ地になっており多くのキャンパーが来ていました。
実際に遭難した場所はもっと道からずれていて、山谷が沢山ある悪状況のところです。
そんなことに思いを巡らせながらもっと次の目的地 スーパー8に向かいます。
この道中も恐ろしく何もありませんでした。
ただひたすら荒野を走り抜け、本日の目的地ロックスプリングスのスーパー8に到着。
すぐ隣にウォールマートがあるので晩御調達に行きますが、昼のチキンのせいでみんな食欲がなく、残り物のチキンとパンを少しかじって晩御飯終了。
なんとなくこの旅はほとんど夕飯や昼ご飯を食べていない気がします…
その夜、またモーテルあるある。
トイレのドアが壊れていて、鍵がかかってしまいあかない。
単純な作りなので、カードを使って開けようとしますが途中つっかえて無理。しばらく格闘した後、フロントに連絡し、係員に解錠してもらいました。
おなかの調子悪いのでトイレあかないのって致命傷ですもんね。
あと、こういうことはよくあるらしく、先人達が頑張ってカード差し込んで開けようとした傷が残されていました。結果から言うとここのトイレのドアはカード差し込んでも開きません。閉じ込められた、または入れないときには係員さん呼びましょう。
そんなこんなで疲労困憊のまま就寝。
明日は走行距離は短いけど、寄るところが目白押しなので早めに起きるぞ!
Day6
朝ごはんないので7:30くらいにホテル出発。
ホテルの後ろに猫の家族がいたので思わず撮影。
妻が言うにはあんまり猫を見かけないとのこと。
まあ特に野良猫は警戒心強いから外ぷらぷらしないと思うんだけど。
街自体は歴史保存地区的な扱いなのでちょっと散策。
そして、絶対に寄りたいと思っていた建物に行ってきました。
これわかるかな?
日本語ではブローニングと呼ばれてます。
傑作機関銃といわれ100年以上世界中で使われているM2を設計した人のお父さんの銃器工場です。
まあ興味のない人にはどうでもいいことですけどね。
ということで、家族も全く興味がないため、すぐに移動開始。
アメリカにはいくつかNational trailというルートが国によって認定されています。
今回はその一つの
Mormon Pioneer National Historic Trail
にできる限り沿った道路を進んで行きます。
イリノイ州ノーブーからユタ州ソルトレイクシティまで2000km超の道のりになります。
1846年頃大部分の教会員が信教の自由を求めて移住したルートです。
まずフォートマジソン橋。
旋回橋で、ちょうど下を船が通っており、しばらく待たされました。
今日はほとんどインターステートは使わない旅になります。
数時間進んだ田舎町で地元のスーパーに入ってルートビア探し。
でもここではメジャーなブランド以外ではPBともう一つしか売ってませんでした。もちろん両方購入。
ただこの辺りで危機感を覚えます。
この旅行の縦軸企画としてローカルルートビア収集というものがあるんですが(家族非公認)、ガソリンスタンドによってもスーパーに寄ってもメジャーブランド以外見かけないんです。
かつて友人に言われた「ルートビアはユタでは人気あるけど他ではそうでもないよ」という言葉が頭をよぎります。
気を取り直して向かいにあるハーディーズでハンバーガーブランチ。
ここはカールスジュニアと同じお店の東部ブランドです。
対応してくれたおばちゃんが前歯四本ないのでイマイチ言ってることが聞き取れませんでしたが、なんとか注文。
お客さんも白人ばかりでしかも冗談かと思うような田舎っぽいアクセントで話をしています。
初めて中西部と呼ばれる地域に来ましたが、本当に白人だらけなんですね。アジア人はナイアガラの滝以降一切見かけません。
白人以外ほとんど見かけません。中南米系だってほとんどいないんです。
あと、ここ三日ほど景色が変わりません。
ずっとトウモロコシ畑と背の低いなんらかの作物だけです。
映画フィールドオブドリームでトウモロコシ畑を球場にしていましたが、まさしくあの風景のまま。
ひたすら畑が続きます。
もう飽きました。
マルコムXの記念館もありますが、時間の関係上通過。
町外れの教会のビジターセンターに到着。
開拓者たちがどんな状態でどのような準備をして旅したか説明を受けます。
旅程は一ヶ月ちょっとの予定で食料積んだものの、実際は三ヶ月ほどかかったため苦労したとのことでした。
移動には幌馬車と手車の二つの方法があったそうです。
通常は雄牛二頭立ての幌車。
金銭的に厳しい家庭は手車。
赤ちゃん除いて歩ける人間は全て歩いて移動しました。
だいたい毎日アレ?何キロだったか思い出せない。
これだから思い出し日記は良くないですね。
言い訳するなら、受けた説明も子どものために全部通訳したので、頭に残っていないんです。ということにしてください。
ちなみに手車はこの写真の通り。
ウィンタークオーターズはユタへの道中、食料を補給したり、そのためのお金を稼ぐために働いたりと一時期は数千人が各宿営地で暮らしていた中継地点になります。
昼過ぎになりここを出発。
次は待ちに待ったアウトレット!
オマハの中心から1時間弱でアウトレットに到着。
久しぶりにアジア人見かけました。
アメリカのアウトレットは安い!
子供用のドレスが$7!
そのかわり僕が欲しいのはないし、目当てのオールドネイビーアウトレットもそれほど安くないので残念でした。
アウトレットならネットも繋がるかと思ったんですが調子が悪く本日のモーテル予約に手間取り20分ほど時間をロス
昼も大分すぎたので少し進んだリンカーン郊外のバーガーキングで遅い昼ごはん。
ここはひどいお店でした。まず注文するときに店員が目の前の僕に挨拶しない。こちらも日本的な挨拶があるとは思ってないけど、普通一言くらいあるはずなのにHiの一言すらない。
セットで頼んだのにドリンクのカップが出てこない。
バーガー出てきてもカップがないからカップくれと言うと放り投げるようにカップを渡される。
そしてとにかく汚い。
掃除してる人いるのに汚い。
もっとも汚さは日本の場末のマックやサイゼリアと同じくらいですけどね。
妻は対応と汚さがお気に召さなかったようで、この件でバーガーキング嫌いになったようです。残念
予定したモーテルまで行こうと頑張りますがとにかく眠い。
途中10分程度の休みを取り、またどうしても寄りたかったガソリンスタンドによって写真撮影。
今晩泊まる予定の街にある個人所有も博物館からの寄付だとのこと。
この戦車まだまだ世界的には現役で使っているところも多いんです。
第2世代の流線型が美しいですね。
これもわかる人とわからない人がいると思います。ちなみに僕の家族は全員この良さがわからないそうです。
わからないながらも写真撮ってくれた妻には感謝しています。
そんなこんなでモーテルに着いたのは夜10時ごろ。
またまたスーパー8です。
子供達がワッフル食べたいというのでワッフルがありそうなところで休めの宿を取っています。
しかし!
洗濯が時間外でできないというのでハプニングがあり若干残念な感じになりました。
走行距離900km弱
ガソリンは1ガロンあたり$2.89位でした
Day5
コンフォートインはモーテルとしては若干ランクが上で、「ホットブレックファースト」を提供してます。
通常のモーテルはコンチネンタルと言ってシリアルにパン、ヨーグルトと飲み物ぐらいなのですが、
ホットブレックファーストだと何か温かいおかずが付きます。
ここのコンフォートインではスクランブルエッグにソーセージ、それとソーセージ肉を使ったシチューが出ました。
ソーセージ系はかなり塩気が強いこともあり家族は嫌っていましたが、毎朝甘いものだらけの生活の中では温かい塩気のあるものが珍しく、私は美味しくいただきました。
1時間弱予定より手前で泊まったため、出発時間も1時間早めました。
最初の目的地はミズーリ州インディペンデンス。
19世紀初頭の教会はカートランドとインディペンデンスの二箇所が拠点となってました。
特にインディペンデンスは急激な人口の増加で近隣の住民と摩擦が悪化してかなり重大な争いが起きていました。
また、当時はインディペンデンスに集合するという話だったので、宗教的には重要な地域であり、数多くの分派がインディペンデンス周辺に拠点を構えています。
これはユタのモルモンとは違う分派の神殿です。
時間がないので外しか見ませんでしたが、館内ツアーがあるそうです。
その向かい側にビジターセンターがあり、教会のことやインディペンデンス周辺での出来事の説明を受けました。
ここでなぜかインディペンデンスと全く関係のない家族の大切さに関するプレゼンがスタート。
「おいおい、歴史巡りで家族の話してどうすんだよ」
と思いながら見ましたが、途中から妻、僕ともに鼻水たらす手前まで行くぐらい感動。
この旅も家族のきずなを深めるよい機会だと再認識しました。
ビジターセンターは綺麗にしてあり、とても居心地が良いのでついつい長居をしてしまっため、ダッシュで次の目的地へ。
インディペンデンスの北東の街リバティー。
ここは創始者のジェセフ・スミスが投獄されていた建物を復元してあります。
特に感慨深いものはありませんでしたが、とりあえず家族で記念撮影。
サクッと次の目的地へ。
ファーイースト。
リバティーから車で45分くらいのトウモロコシ畑の中にあります。
19世紀中盤に神殿を建てようとしていたのですが、諸事情により建設が進まず、隅石が置かれたままになっています。
当時はそれなりに集落があったようですが、今は何もありません。
そこからさらに小一時間トウモロコシ畑を抜けて、アダム・オンダイ・アーマンへ。
良い景色のところでした。
それだけです。
腹も減ったので次の目的地に行く前にランチ。
このサイズ二枚とドリンクで$20弱
しかも焼きたては美味しかった
食べきれずに箱に入れてもらって持ち帰り。
ただ、息子が適当にトランクにぶち込んだため、車の中にぶちまけられて、捨てること気なってしまったことは残念です。
そこからひたすらトウモロコシ畑を走り続けます。と言うか、前日からトウモロコシ畑しか見ていません。
とにかく眠気との戦いです。
今回はインターステート(州をまたぐ高規格の高速道路)ではなくローカルなハイウェイなので、眠気が限界に来た時は路肩に寄せて5-10分休みました。
寝ると20分くらいは元気が出ます。
眠気覚ましの方法は
①何か食べる
②歌う
③つねる
④冷感シートで顔を拭く
⑤水をかぶる
⑥寝る
大体こんな感じですね。
特にお手軽で効果があるのは
⑤水をかぶる
ペットボトルの水を頭からかけて、その水で顔を拭いて首を拭いてエアコンの風を当てると目がスッキリ!
アメリカは結構乾燥しているのですぐに乾きますしおススメです。
次の目的地までは途中に人口数百人の村が点在するド田舎を3時間半かかって走り抜けました。
途中橋梁工事で通行止めもありましたが、Google MAPのお陰で対応でき、スムーズに走行できました。
当初の予定では紙ベースの地図を使うつもりだったのですが、もしgoogle先生いなかったら道間違えまくって毎日数時間ロスしていたと思います。
さてカーセージという街に着きました。
ここは創始者ジェセフ・スミスが収監されていた家があります。
ここに収監されている間に、武装集団に襲われて射殺されました。
ただここでは収監とは言ってもかなり自由な環境で、ジェセフ・スミス側も拳銃を所持しており、銃撃戦になったようです。
ここもビジターセンターになっているので宣教師がガイドをしてくれました。時間の関係で会えませんでしたが、日本人の宣教師もいるとのことでした。日本人の訪問者なんて年間数えるほどしかいないので基本英語対応になるらしく、現在は英語を必死で勉強しているようです。
そんなこんなで本日の最終目的地ノーブーに到着。
ここはインディペンデンスから追いやられた後に教会員たちが開拓した街を再現した歴史保存地区で古い家を復元している観光地です。
夏にはここで野外劇があります。
ニューヨークの野外劇ほどの規模ではありませんが、ここの劇は演劇を勉強した人たちが演じているためとてもレベルが高く楽しめました。
また、最初は時間に遅れていたので端っこに座っていたのですが、案内係の宣教師が真ん中の方の席に移動させてくれたので迫力もありました。
終了してホテルに戻りますが、このホテルがボロい。
おじいちゃん家に泊まってる感覚とでもいうんでしょうか。
ベッドは三つあり大きいのですが、建物の外のドアは開けっぱなしでセキュリティーは0でした。ま、場所が良いので文句ばかりも言えません。
$178。
次があっても止まらないでしょうね。おススメはしません。
さて、朝ごはんもないホテルですので、明日は早めに起きて長距離移動します!
Day4
昨日の疲労が全く抜けないまま朝5時半頃起床。
予定より30ー60分手前に宿泊したため、できる限り早く出発したいと思っていました。
朝起きて出かける準備をしていると、妻が窓の外にお客さんがきている事に気がつきました。
ビーバーみたいな小動物とウサギ🐇そして鹿🦌です。
レンタカーのギスギスしたやり取りでの精神的な疲労感が少し晴れました。
そして朝ごはん。
スーパー8は安いけど、ワッフルメーカーが置いてあることが多いです。
たかがワッフルですが、子供達は大興奮。
作り方がよくわからないで戸惑っていると知らない家族のお父さんがやり方を教えてくれました。
なんだかんだ言って、優しい人が多いですね。
部屋が若干変な香料匂いがしたりしましたが
7000円でこの内容なら大満足です。
早めには出たものの、眠いことは眠いので、近くのガソリンスタンドでモンスタードリンク購入。
三分の一くらい一気に飲むと頭に膨張感。
しかも若干頭痛もで出てくるので、それ以上は少しずつ飲むことにしました。
通常コーヒー茶飲まないので急激なカフェイン摂取は危険かもしれません。
あとは眠気と戦いながら前進!
最新モデルは運転しやすいですね。
足なんかほぼ使いません。
クルーズコントロール設定して、前に車がスピード緩めたら勝手に減速。
警察のネズミ捕りも10マイル程度のオーバーはスルーしてくれるので、設定さえしっかりしとけば安心です。
とは言っても眠いことには間違いないので大変でしたが、なんとか本日の観光地に到着。
アメリカ国立空軍博物館
軍ヲタですが航空機は専門外なのでそんなに期待はしてなく、子供がアポロ15号を見てくれればそれでいいと思っていたのですが、実際中に入るとすんごい!
零戦、Bー29、Bー2、F22とまあ贅沢な展示品。
子供のことを忘れて写真撮りまくりました。
予定時間を超えて滞在。
移動がメインの日なので先に進みます。
少し疲れたところで休憩兼ねてウォールマートへ。
日本のエアガンより安い値段で銃が買えます。
安いのは1万5000円くらい。
結局すぐに食べられそうなものが見つからず、となりにあったポパイというフライドチキンのファーストフードで昼食。
KFCと違ってクリスピーな感じの軽いチキンで結構美味しかったのですが、野菜は0行進です。
ここでプチ問題発生。
時間が2時間ビハインド。
なかなか繋がらないネットでホテルを検索し、予定より1時間手前のコロンビア近くのコンフォートインを予約。四人だと選択肢が多いのですが、五人になると途端に選択肢が減ります。
ここからが長かった。
西部へに玄関口セントルイスも案内所に寄っただけで走りぬきます。
ミシシッピ川を撮る妻を撮った写真。
なんだかわかりませんね。
とにかく移動日なのでやることがない。
疲れのために途中休憩取りながらホテルに着いたのは9:30過ぎ。
一万円のモーテルは古いものの綺麗にしてありました。
子供達も親もみんな疲れ切ってお腹を空かせていたので、近くに買い出しに行こうと思ってフロントにお店を聞くとちょっと離れるとのこと。
そんな憔悴しきった僕の顔を見て、
「子供たちの食べ物ですか?それなら果物でもいい?ちょっとこちらにきてください」
と言ってモーテルのパントリーに連れて行ってくれ、翌日の朝食になるであろうヨーグルトや果物を袋に入れてくれたんです。
本当にジェントルマンでした。
正直甘いヨーグルトは若干飽きていたのですが、優しさに目頭が熱くなりました。
レンタカーの件でアメリカらしいとか言ってましたけど、良い人がたくさんいるのもアメリカです。
これってチップあげたほうがよかったんでしょうか?疲れ切って頭が回らなかったので感謝だけして終わって、後で気がついて戻った時には夜勤の人に替わってたので何もできませんでした。
帰国したらメールを感謝のメールをモーテルにしてみます。
こんな感じでDay4は疲れ切ってはいるものの、心は癒されながら過ぎました。
Day5はがっつり教会歴史の旅になります。
Day3.1
5人乗りだと小さすぎて後席の子供達が喧嘩ばかりするため、今回の旅行でルートから一番近いバッファロー空港で車を交換してもらうことにしました。
空港に行き、レンタカー返却専用通路を使い、ダラーの返却場に向かいます。
店員に簡単に状況を説明すると、手続きのため荷物を全部持って上の階のカウンターに行けとのこと。
荷物が多いので、空港の台車を借りたら$5の出費。
荷物を乗せてエレベーターに乗ると後からアメリカ人家族が乗り込んで来て、そこの10歳くらいの息子が荷物をちゃんと中に入れてないため、ドアが閉まらない。
僕が何回も閉めるボタンを押しても荷物がセンサーに当たって閉まらず、面倒だなと思っていると、そこの父親が
「あの男が間違ったボタン押し続けてるから閉まらない」と言いやがるんです。きっと僕が英語わからんとでも思ったんでしょう。
すぐにそこの娘が「そんなことない」と言って弟の荷物を中に入れたところでやっとドアが閉まりました。
一回で降りようとすると、この家族が動かない。父親が「一階で降りる人間はここにはいない。全員二階まで行くんだ」と言って入り口塞いでるので降りられない!
その時はも娘が「なんで他人の行き先までわかるの?」と言ってくれてたのですが頑として言うことを聞かず結局一階では降りられず二階まで連れて行かれるハメに…
ああいうアホに強く言えない自分にも若干情けなくなりました😢
そのような失意の中一回カウンターに行き手続きをしようとすると、
ラスボス(バッファロー空港レンタカーマネージャー)が現れました。
見た目はこんな感じです。
開口一番
「ガソリン満タンじゃないからその分金払うか、今からどこかでガソリン入れてきて」
とまくしたてます。
そこで昨日のマンハッタンでの約束を伝えるのですが、
「乗り捨て料金いらない事しか契約確認画面に書いてないからダメ!」
「問題があったとしても、乗り捨て料金以外にガソリン代まで安くなるなんてことはありえない。」
「乗り捨て料金に加えてガソリン代まで値引きなんてダラーレンタカー始まって以来の大幅値引き」
「そんなこと有り得ない。とにかくガソリン代は払いなさい」
「満タンで貸してるんだから満タンにしなさい」
と、まくしたててきます。
こちらから話そうとしても話を遮って話を聞かない。
ガソリンはそもそも満タンじゃなかったのでそこを糸口にこちらの話をねじ込もうとするも、ガソリンは満タンで貸してると記録にあるとの言い分。
流石にそれはおかしいので、
「全部おかしいからニューヨークの事務所に確認して」
といっても
「そんなの自分の仕事じゃない」
「今回別の車にすると、もうあなたの問題は解決するので乗り捨て料金免除もなくなる」
「この話に付き合うのに疲れた」
「これ以上この話に付き合わされるのだったら、その分の手間賃をあなたに請求する」
「これ以上話はない。ガソリン入れるかそのニューヨークの事務所に話すかはあなたの勝手。以上」
と一方的に話を打ち切られました。
話がおかしいからニューヨークに電話するので、連絡先教えてと食い下がるものの、
「そんなの知らない。あなたが自分で探せ」
と取りつく島もなし。
こちらに非がない件にもかかわらず、一方的に脅されると言うワンダーランドに迷い込んだようです。
仕方がないのでダラーレンタカーの代表にかけるも、こう言う内容を取り扱う選択肢がないので、契約に関わるところにつないで、担当部署を聞こうとしてもなかなか話が進まない。そうこうしてるとそのマネージャーが電話を代わると言うのでとりあえず状況説明してもらったものの、彼女の主張が大分盛り込まれています。
一旦電話を保留にし、ラスボスが若干優しい話し方でこちらに
「後ろの子供を見なさい。もう疲れて寝てるじゃない。これ以上話長引かせても行けないから…さっきの車の鍵今から渡すからガソリン入れてきなさい」
と結局自分の主張の繰り返し。
ただ、ここまでですでに30分たっておりこちらもギャーギャーまくしたてられて疲れてるし、実際時間がないのでもうここで折れようかとも思ったのですが、妻から「こんな理不尽なこと許しちゃ行けない」と言う応援を受け、電話で話を続ける事にしました。
結局今の担当者ではどうにもならないので上席対応になると、初めからに説明の繰り返し。しかもそいつの英語が南部訛りで聞き取れない。
あまりにも話が成り立たないので、ダラーの方で三者間通訳入れてくれて説明。
「それはここじゃなくて請求部門だからそっちに回すわ」とアメリカあるあるのたらい回し。
請求部門につないで一番最初から説明するも
「ここでは契約確認できない。確認できるのは車を返してからになるのでそれまで待って」
の一点張り。
どうにもこうにも話が進まないので、とにかくニューヨークの事務所につなげと強く主張し、やっとつないでもらえました。
ここまで1時間強。
ニューヨークの現場担当者ではなく別の人が対応するとやっぱりガソリン代の記録がないとのこと。
それおかしいと押し問答の末、やっと了承したため、最終確認する。
1無料アップグレード
2バッファロー空港とロサンゼルス空港での乗り捨て料金なし
3ガソリン代はバッファロー空港では支払いなし
4ロサンゼルス空港ではガソリン代請求する
の四点で妥結
電話時間1時間10分
最初からは1時間半が過ぎてました。
この内容で係員に話したら、別の苦情対応係員と話をしろといわれ、苦情対応係員が別件終了するまで待たされる。
ふらふらになりながらその係員と話を始めたら、車の損傷についての手続きが長くなりました。
ステートメント書けといわれたので、経緯を記載して損傷に気がつくまで一度もバックしてないので自分のせいじゃないと主張したところ、この係員は優しい人で請求なしで落ち着きました。もっとも請求されても追加補償に入っているので自分の持ち出しは無いんですけどね。
でも責任ないのに嫌なのでそこはしっかり主張しました。
手続きの終了間際にその係員に
「あのマネージャーは強いね」
と話を振ると
笑いながら頷いてくれました。
「あれじゃ大変でしょう」
と言うと
もっと大きく頷いていました。
そしてやっとの事で別の車を借りる段階になり、ラスボスとすれ違うと
「話は聞いたわ。You are good」
最後の一言が、問題ないと言う意味なのかよくやったと言う意味なのかわからないけどもうどうでもいいことです。
配車担当者と話書けたけど、スマホから目を話すことなく車を指差しておしまい。
傷に確認も何もなし。
妻が確認して損傷見つけたので写真撮っておきました。
彼女はいい技術アジャスターになれる素質があると思います。
衝突軽減システム
車線逸脱警報システム
衛星ラジオ
サイドエアバッグ
と最高のものでした。
ラスボスの最後の優しさだと好意的に解釈しています。
とここまで2時間強
15分単位で計画していたので大幅に遅れが出ています。
夜間は運転したくなかったのですが、そんなことも言ってられず高速を爆走。
ただ予定よりも30分手前のモーテルをネット予約。
道中夜間雷雨に見舞われもうマジ半端ねえってな感じでした。
無理矢理途中目的地のカートランドによって車内から写真撮影
教会初期の拠点でカートランド神殿と呼ばれています。今はモルモンはモルモンでも創始者の息子の系統の教団の所有物になっています。
そこから夜間目がしょぼしょぼになりながらモーテルのある街に到着。
昼飯食べてないので近くのタコベルでテイクアウト
ここの店員のお兄ちゃんが親切でした。
あのラスボスの件もあり、
親切な人たくさんいるなあと心が温まりました。
スーパー8に宿泊
とにかく疲れたDay3となりました。
Day3
ニューヨーク州北部にあるパルマイラと言う小さな街のパルマイラ・インで朝食
なぜか子供達が大喜び!
特にリンゴがお気に入りのようでした。
宿の中はリノベーションの途中で綺麗とは言えませんし、金額も$278で高いと思いますが、場所としては最高だと思います。
この町は末日聖徒イエス・キリスト教会の聖地的な存在で創始者が神とイエスキリストに会った森が保存されています。
前日からの雨で心配していましたが、行く30分ほどから雨が上がり家族で散策することができました。
完全に俗物な僕がどんな感じを受けるのか自分自身でも分からずある意味楽しみでした。
結果は
胸熱!
この場所になにかの力があるとは思いませんし、パワースポット的なものも一切信じていないのですが、色々なことに思いを巡らせることで家族と一緒に幸せになろうと決意を新たにすることができました。
その後近くの教会にちっとだけ顔を出し、近くのクモラの丘の記念碑へ。
昨晩野外劇があった場所です。
ここはモルモン書の元になる金版をのやり取りを天使モロナイとジョセフスミスで行なったところです。
天使モロナイも御多分に洩れずムキムキミドルです💪
その後俗世に戻ってナイアガラの滝へ。
ニューヨークでは有料道路が数多くあり、特殊な機械をつけない場合手渡しで支払う必要があります。
入り口で整理券みたいなものを渡されるのですが、ETC的なレーンに入っても何も言われず進めちゃうんですよね。
僕もうっかり何ももらわず通り過ぎてしまいました。
何かのブログで整理券ないとかなり面倒になると書かれていたので心配でしたが、出口では入場した地点を自己申告したら特に何も言われず、係員が計算してくれた金額を支払って無事に通過できました。
ナイアガラの滝では
Maid of mist と言う滝の前まで行く遊覧船を事前予約していたので滝のそばまで行きますが、とにかく混んでいて駐車場がない。
仕方がないので歩いて10分くらいの$20の私設駐車場に止めました。
事前予約した紙をチケットカウンターで提示して、入場券と交換してもらい、並ぶと青いポンチョが配られます。
この日は朝が雨だったこともあり、戻ってきた船にすぐに乗ることができました。
とは言っても列でいうと真ん中ぐらいだったので、人気の最前列や二階席は取れず、一階の後方に位置しました。
残念な場所かもしれないけど、まあ子連れだから仕方がないかと考えていましたが、いい意味で裏切られました。
爆音と風と水飛沫の大迫力エンターテイメント!
次女はアメリカ人の子供並みに叫びまくっています。
ハズレの場所がないと書いてるブログもありましたが、あの情報は本当でしたね。
ちなみに我が家は右後方でした。
楽しいナイアガラの滝のイベントも終わり、次はレンタカーの交換のためにバッファロー空港に向かいます。
一悶着あるとは思っていたので1時間はかかると見越していましたが、どうやって戦おうかと心を躍らせていました。
その時は完全に舐めてましたね。
アメリカ在住歴5年超。
日本でも仕事が揉め事解決中心で10年弱やってたので自分を過信していたようです。
あんな強敵(ラスボス)が待ち構えているとは思ってもみませんでした。
ではレンタカー問題についてはまた別記事で書きます。
ともすれば
Day2.2
この記事はレンタカー以外について書きます。
さて、道を間違えたため計画通りの道に進もうと転進。
途中のウォールマートがありそうな街に目をつけて地図をチェックすると、やっぱりありました。ちょっとしたサイズの街には必ずありますね、ウォールマート。
12年ぶりのウォールマート。
どんなルートビアが待ち受けているかと心が踊ります。
しかし!
ルートビアは立ったの三種類。
またもA&W。
そしてウォールマートのPB。
さらにIBC。
これなら横田基地のスーパーの方がよっぽど充実しています。
もうがっかり。
適当に買い物をし高速道路に乗って、最初の目的地
Aaronic priesthood restoration site
末日聖徒イエス・キリスト教会関連の記念サイトですね。
平たく言うと創始者ジェセフ・スミスが天使にあったところの一つです。
でもウチの教会の天使って羽もなければ可愛くもなくて、こんな感じです。
この立ってる3人の筋骨隆々のナイスミドルが天使👼👼👼
すでに数時間遅延しているため、速攻で次のサイトへ。
教会設立時の小屋
とうもろこし畑の真ん中にありますが、到着時はすでに案内所は営業時間外だったため、写真だけ撮ってホテルへ向かいました。
楽しみにしていたアウトレットは時間の関係で省略と相成りました。これも一重にダラーレンタカーのせいです。
ホテルに着いた時には陽も暮れていましたが、今回は野外劇が9時から開催されると聞いていたため、雨の中ダッシュで会場へ。
強風と雨のため、15分くらいで退場。
かなり寒いです。夏とは思えない!
その代わり夕食のためにマックへ。マックしかなかったんです。
でも、注文も喋らなくてよくなってるんですね。驚きです。
そんなこんなでDay2終わりとなりました。
これやっぱり毎日書かないとかなりおざなりになりますね。反省